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【麗し大和・記者の裏話】(13)謎がオモシロイ 海龍王寺あれこれ(産経新聞)

 海龍王寺って名前、ちょっとカッコイイ。海のない奈良で、海とつながりの深い寺の1つといえるかもしれない。訪ねてみるととても小さいお寺で、イラストレーターみうらじゅんさんから“イケ住”(イケてる住職)と名付けられた石川重元住職が、にこにこ顔で受け付けに座っていたのが好感度「大」だった。尼門跡として有名な法華寺に行くならぜひもう一歩、足を伸ばしてほしい。今回、「へええ〜」と思ったことをいくつか紹介。

 ■海龍王寺はいつからあったか?

 海竜王寺に行くには、近鉄奈良駅か大和西大寺駅、JR奈良駅からバス。「法華寺前」で降りると、バス停のすぐ前に門があり、海龍王寺の東を通る道路(東二坊大路)を見渡してみる。条坊制によって碁盤の目のように東西南北きっちりとはりめぐらされるはずだった大路が、東に60メートルほどずらされているのがわかるはずだ。

 平城京が造られる前にすでにここには寺があり、それを壊すことなく、大路の方をずらした…と考えられている。住職に聞くと、発掘調査でも飛鳥〜白鳳時代の瓦などが出たそうだ。

 で、結論はこう。(1)平城遷都前におそらく毘沙門天をまつる寺かお堂があった(2)平城遷都に伴い権力者藤原不比等の館が建てられ、その敷地にあったことからそのまま不比等の邸宅に取り込まれた(3)不比等の死後、娘の光明皇后の邸宅となり、海龍王寺が建てられた(4)玄●が住職となる…という変遷をたどったようである。

 ■玄●を見直す

 ところで、僧玄●。海龍王寺の初代住職(住持)とされている。が、実はよくわからない。後世には(艶聞も含めて)伝説も生まれたが、聖武天皇の母で、天皇を産んでから気うつ(今でいううつ病?)の病にかかり、40年近くも親子の対面すらできなかったという宮子を、遣唐使帰りの玄●が祈祷によって治した…という話が、さまざまな逸話を生んだ。

 個人的には、遣唐使で僧侶というと、薬や医学の知識もあっただろうし、失脚した人物というのはとかく後世に悪く、またはおもしろおかしく語られがちなもの、と思う。今回、興福寺に法相宗の教学に貢献した人物(法相六祖)の1人として玄●がまつられているのを知って(像もある)、改めてきちんと評価されるべきなのではないか、と思った。(図書館で「福智院の由来記」を発見。玄●について一番詳しくまとめられている資料だった)

 ■遣唐使よもやま話

 玄●は遣唐使だったが、天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも」で知られる阿倍仲麻呂、4月のNHKドラマの主役になった吉備真備らと一緒の派遣だったと今回、知った。717年に唐に向かっている。

 実はもう1人、いた。2004年に「日本人留学生の墓誌発見」として大きなニュースになった、井真成(せいしんせい)。奈良大学の東野治之教授は著書「遣唐使」(岩波新書)で、中国名・井真成は葛井真成(ふじいのまなり)だと推定されていて、玄●らと同じ船で唐にわたったとみられるのだ。

 とすると、留学生(僧)のうち、玄●と真備は日本に帰国して一時は政治の中枢で活躍、仲麻呂と真成は帰国かなわず唐で生涯を閉じた…という毛かKになる。想像するしかないけれど、それぞれの生涯がドラマだったろうと思った次第。

 ●=日へんに方

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